TOPページ > 難波宮インフォメーション > 難波宮の概説:難波宮の保存と整備
大阪市中央区法円坂一帯にある難波宮史跡公園では、 飛鳥時代(7世紀)と奈良時代(8世紀)の前後2時期の難波宮を、 レンガ・土盛りなどにより表示し、保存と整備をはかっている。 難波宮の廃絶後は、永くその場所が分からなくなっていたが、 故山根徳太郎博士が1954年から発掘調査を始め、 61年には後期難波宮の大極殿を確認するにいたった。 現在は、国指定史跡となり、公園として活用されている。 また、2001年秋に開館した 大阪歴史博物館の地下には難波宮の遺構が保存・公開されている。
難波宮跡(中央区法円坂1丁目難波宮史跡公園内)
山根博士は大阪に生まれ、古代難波に興味をもって成長した。
偶然手にした瓦から難波宮の存在を確信し、
1954年、定年後から発掘調査という手段で長い間わからなかった難波宮を明らかにした。
何度も起こる開発の波に毅然として正面から立ち向かい、保存を訴え続けた。
その結果、大都市の中に難波宮史跡公園を実現することができた。
なお、大阪歴史博物館の10階には、山根徳太郎博士とその研究を紹介する展示コーナーを設けており、
ビデオ『われ幻の難波宮を見たり』を放映しております。ぜひ、ご覧下さい。