TOPページ > 難波宮インフォメーション > 難波宮の概説:後期難波宮の時代
前期難波宮と同じく内裏と朝堂院を中心とする。 大極殿と朝堂は 凝灰岩で覆われた基壇の上に礎石を置いて建てられ、瓦が葺かれた。軒瓦の文様には円や弧線による重圏文が考案され用いられた。 この宮殿は8世紀前半に聖武天皇の命令によってつくられた『続日本紀』に出てくる「難波宮」で、 一時期ではあるが首都とされたこともある。
難波宮跡(中央区法円坂1丁目難波宮史跡公園内)
1969年に調査された後期難波宮の中心の建物。 東西約42m、南北約21m、高さ約2mに復元できる基壇の上に礎石を置き、 9間×4間(東西35.2m、南北14.8m)の瓦葺きの建物である。 丹塗の柱と白壁でかざり、内部には政治や儀式の時に天皇が出御する、高御座(たかみくら)が設置されている。
難波宮跡(中央区法円坂1丁目)./.時期:8世紀
後期難波宮の中心部を構成する政治・儀式のための建物。 庭を囲んで8堂の建物があり、東側の北から2棟目。 土を盛って周りを凝灰岩で化粧した基壇上に礎石を置いて建物を建てる構造である。 宮廃絶後は、基壇の高まりまで削り取っているので、 基壇化粧の凝灰岩の抜取痕跡でしか確認できない。
難波宮跡(中央区法円坂1丁目)./.時期:8世紀./.大きさ:軒丸瓦直径18cm、軒平瓦幅約18cm
これらの瓦は後期難波宮で使われていたもので、軒丸・軒平・鬼瓦を同じ文様で統一して宮殿を飾っている。 当時主流である蓮華・唐草文ではなく、このような文様で中心部を飾るのは、 難波宮から運んで再度使われた長岡宮を除いて、ほかの宮殿にはない特徴である。
難波宮跡(中央区法円坂1丁目)./.時期:8世紀./.大きさ:軒丸瓦直径約16cm、軒平瓦幅27cm
後期難波宮の大極殿院・朝堂院地域は瓦葺きであり、重圏文の瓦が中心である。蓮華・唐草文の瓦がまとまって出土するのは、朝堂院の西側で塀と五間門で区画されたところである。これらの瓦は吹田市にある七尾瓦窯で焼かれたことが明らかにされている。