TOPページ > 難波宮インフォメーション > 難波宮の概説:前期難波宮の時代
天皇(大王)の居所である内裏と重要な政務・儀式をとり行う朝堂院、 および東西に配された官衙(役所)からなる。すべて掘立柱の形式で建てられ、瓦は一切使われていない。 7世紀中ごろ、孝徳天皇の難波遷都に伴ってつくられた。 「難波長柄豊碕宮」と考えられ、全域に残る火災の痕跡は『日本書紀』の記述と一致している。
難波宮跡(中央区上町1丁目)./.時期:7世紀
柱痕跡の周囲の土が赤く焼けしまっている。火災の際に柱が土中の部分まで焼けたためで、火の勢いのすさまじさがうかがえる。『日本書紀』に記された朱鳥元(686)年の火事で焼けたものと思われる。
難波宮(中央区法円坂町1丁目)./.時期:7世紀
期難波宮の政治・儀式のための建物。朝堂は掘立柱構造で14棟が確認されている。東第4堂も他の第3堂・第5堂と同規模で、東西2間(約6m)、南北12間(35.4m)の南北に長い建物である。柱の抜取り穴に焼け壁が入っているので、『日本書紀』に記された朱鳥元(686)年の火事で焼けたものと思われる。