TOPページ > 更新履歴 > 中之島蔵屋敷跡発掘調査で江戸時代の土蔵跡が見つかりました
大阪市教育委員会と公益財団法人大阪市博物館協会大阪文化財研究所は、
平成26年1月から実施してきました中之島蔵屋敷跡の発掘調査の成果を広く市民に紹介するために、
平成26年5月10日(土)13時より発掘現場において現地説明会を行います。
今回の調査では、江戸時代の土蔵跡4棟など、蔵屋敷に関わる遺構や遺物が見つかりました。
江戸時代における大坂の経済的繁栄を支えた蔵屋敷の構造を考える上で、重要な成果といえます。
【 記 】
日 付 : 平成26年5月10日(土) 終了いたしました。
時 間 : 13時〜15時30分
※小雨決行(開催時間までに大阪府下に暴風または
大雨警報が発令された場合は中止とします。)
内 容 : 調査成果の解説および出土遺物の展示
参加費 : 無料
会 場 : 中之島蔵屋敷跡発掘現場(大阪市北区中之島6丁目)
・京阪電車中之島線 中之島駅下車
2号出入口より南西へ約200m
・地下鉄中央線・千日前線 阿波座駅下車
9号出入口より北へ約850m
・JR東西線 新福島駅下車
3号出入口より南西へ約850m
調査の概要
今回の発掘調査地は、北を堂島川、南を土佐堀川に囲まれた中之島の西部に位置し
2,100平方メートル弱を対象として実施しています。
江戸時代の中之島やその周辺には、各藩が大坂に設置した蔵屋敷が建ち並んでいました(図1)。
発掘調査は、調査区を東西に二分して実施しています。
現在調査中の東調査区では、基礎に石積みを用いており土蔵と考えられる建物跡2棟(蔵④・⑤)や、
その他の建物⑥・⑦、井戸2基(うち1基は明治時代以降)などが見つかっています(図2、写真1)。
すでに調査を終了し、埋め戻した西調査区(写真パネルを展示)でも、
石積みを用いた建物跡4棟が見つかりました(蔵①〜④、図2、写真2)。
石積みは3〜4段あって堅牢に築かれており(写真3)、
内側には床を支えるための礎石が据えられていましたが、
その多くは抜き取られて痕跡が残っていました。
これらのうち、蔵 ② 〜④は江戸時代に建てられたもので、
蔵①は明治時代以降に建てられたと考えられます。
土蔵の幅は、石積みの外側で計測すると、いずれも8.2メートルと規格性があります。
長さがわかる土蔵は蔵③・④のみですが、34.7メートルと長大です。
壁の位置を復元すると、幅4間(7.8メートル、1間≒1.95メートルとして算出)、
長さ17.5間(≒34.1メートル)と考えられ、
床面積は約266平方メートルであったと想定できます。
土蔵の内部は、間仕切りによって3つないし4つの空間に分割されていたようです。
また、蔵③・④は長辺を接して2棟がセットで築かれており、
その東西には通路が設けられていました。
蔵 ② 〜⑤は18世紀の後半頃に建設され、その後、改築や蔵①の増築などを経ながら、
1960年代まで使われ続けました。1960年頃の図面からは、
蔵①〜④の周囲を取り囲むように建物が配されていたことがわかります。
また、蔵⑤は近代のある時期に取り壊されたようです。
調査成果からわかったこと
今回の調査で検出した蔵屋敷は、文献史料などから18世紀末〜19世紀前半には出羽国矢島を領した生駒氏(8千石)、
幕末には佐賀藩の支藩である鹿島藩・鍋島氏(2万石)によって使われていたと推測されます。
ただし、藩名を記した文字資料など、直接的にそのことを証明する資料は出土していません。
今回の発掘調査により、江戸時代には敷地の中に少なくとも4棟の土蔵が所狭しと建ち並んでいたことがわかります。
蔵の横には通路が設けられ、堂島川から荷揚げされた物資を効率的に蔵へと搬入できる配置をとっています。
しかし、そのいっぽうで、御殿に相当するような建物は今回の調査範囲では見つかっていません。
こうした土地利用のあり方から、今回調査した蔵屋敷では、蔵がそのほとんどの面積を占め、
屋敷としての役割が希薄な配置であった可能性があります。
ひとくちに蔵屋敷といっても、広島藩・佐賀藩・高松藩・熊本藩といった
西国の雄藩とは異なった構造をもっていたのかもしれません。
今回の発掘調査により、蔵屋敷の具体的な構造の一例を知ることができました。
中之島周辺は「天下の台所」と称された近世大坂の繁栄を象徴する地域であり、
今後、その具体的な姿を復元する上で、重要な手がかりとなります。
図1 調査地の位置
写真1 東調査区の建物跡(南から)
写真2 西調査区の建物跡(南東から、調査は終了、パネルを展示)
写真3 建物の石積み基礎(西から)
図2 見つかった建物跡など
【 問合せ先 】
(公財)大阪市博物館協会 大阪文化財研究所
中之島蔵屋敷跡発掘現場事務所
担当:岡村(TEL:090-2386-7682)
【 主 催 】
大阪市教育委員会・大阪文化財研究所