TOPページ > 更新履歴 > 2013年度「金曜歴史講座」開催のお知らせ
むかしの大阪をみらいの大阪へ伝える
金曜歴史講座は、(公財)大阪市博物館協会 大阪文化財研究所が行う普及啓発事業として、 大阪の歴史や文化財の最新情報をお届けする連続講座です。
【 記 】
日 付 : 第3シーズン 考古学千夜一夜
…11月22・29日 12月6・13日 終了いたしました
第2シーズン 速報展直前!最新の重要発掘成果
…9月6・13・20・27日 終了いたしました
第1シーズン 難波宮址発掘60年記念
…7月5・12・19・26日 終了いたしました
時 間 : 18:30〜19:45 (18:00受付開始)
会 場 : 大阪歴史博物館 4階講堂
大阪市中央区大手前4-1-32
(最寄駅)地下鉄谷町線・中央線「谷町四丁目」駅下車9号出口前
(最寄バス停)大阪市営バス「馬場町」バス停前
参加費 : 200円 (参加資料代)
定 員 : 250名 (当日先着順)
第3シーズン 「考古学千夜一夜」( 11月22・29日 12月6・13日)
第3シーズンは終了いたしました。たくさんのご参加ありがとうございました。
第146回 11月22日 |
朝鮮無文土器からみた紀元前後の大阪 -都島区榎並城跡伝承地出土資料を中心に- |
田中清美 |
北部九州では紀元前後の朝鮮半島で使われた無文土器が出土しており、 当時の海峡をまたいだ人々の往来や大陸文化の伝播経路がわかります。 今回見つかった無文土器は、 2100年前の大阪市域と朝鮮半島南部地域の人々の交流を知る重要な証拠になりました。 邪馬台国時代に先駆けた半島と列島の人や文物交流の実態の糸口がやっとつかめたのです。 |
第147回 11月29日 |
天満寺内町(てんまじないちょう)の考古学 −上町・船場と並ぶ城下町大坂の起源− |
南 秀雄 |
豊臣秀吉は城下町建設のため、天満に本願寺と寺内町をおいて起爆剤に利用しました。 それは、中世都市として各地で栄えた寺内町の最後の姿でもありました。 天満は、上町・船場とならび、近世大坂の核となりますが、 考古学的な調査研究は遅れています。近年の発掘成果を活用し、初期の城下町天満の構造にせまります。 |
第148回 12月6日 |
豊臣氏大坂城と城下町の開発 −土地の造成と町づくり− |
平田 洋司 |
東西南北の道路が整然と並ぶ現在の大阪城周辺。 かつては大小さまざまな谷が残る凹凸の激しい地形でした。 大坂城と城下町の開発の際の大規模な造成工事により現在の景観のもとが生まれました。 造成のようすと町づくりについて、発掘調査の成果をもとに紹介します。 |
第149回 12月13日 |
古代人はどのようにして塩を作ったか −近畿地方の土器製塩を中心に− |
岩本 正二 ※ |
(※「塩の会」会長、元広島県立歴史博物館、副館長) |
||
塩は私たちの生活にとって必要不可欠なものです。
古来、塩の入手には様々な苦労を重ねてきました。
弥生・古墳時代の人々は、塩をどのように作り、手にいれたのか、 |
第2シーズン 「速報展直前!最新の重要発掘成果」
( 9月6・13・20・27日)
第2シーズンは終了いたしました。たくさんのご参加ありがとうございました。
第142回 9月6日 |
加美遺跡周辺の古代 ―最近の発掘調査成果をふまえて― |
櫻田 小百合 |
平野区北部から東大阪市・八尾市にかけては、古代に物部氏と関連が深かった地域として知られています。 また、加美遺跡北東部の発掘調査では、奈良時代の大溝から人面墨画土器や絵馬などが出土しており、 一般的な農村とは異なる重要な場所であったと考えられていました。 これまでの発掘調査成果から、加美遺跡周辺の古代にせまりたいと思います。 |
第143回 9月13日 |
弥生の墓と古墳 ―2012年度長原遺跡発掘成果より |
田中 裕子 |
平野区長原遺跡で見つかった弥生時代後期の方形周溝墓と古墳時代中期の長原217号墳。 方形周溝墓は、弥生時代の墓としては市内最大級の大きさで、 土器棺やたくさんの供献用の土器が発見されました。 一方、長原217号墳は規模の小さい方墳ですが、 木棺が残っており骨や歯、漆塗の竪櫛、鉄器などが見つかっています。 時代の異なる2基の墓を中心に、調査成果をご紹介します。 |
第144回 9月20日 |
70年の時を超え、弥生時代前期の 瓜破ムラの発見−瓜破遺跡の調査成果から− |
小倉 徹也 |
環濠の可能性がある大溝など、弥生時代前期末の集落が発見された平野区瓜破遺跡の調査成果を紹介します。 大溝には多量の土器が捨てられており、 大溝の東側では何度も建て替えられた建物の柱穴や炉跡が多数見つかりました。 今回の発見により、戦前・戦後に同遺跡で得られていた学史上の成果をおよそ70年ぶりに、 そしてより明確に示すことができました 。 |
第145回 9月27日 |
四天王寺の南に古代大型建物群あらわる −天王寺区悲田院町の発掘調査から |
市川 創 |
四天王寺の南500mで行った発掘調査で、古代都市「難波京」の想定南端線をまたぐ 大型建物群が姿を現しました。出土した土器などから、7世紀の終わり頃の遺跡と推測できます。 建物群は難波京外のものなのか?その性格は貴族邸宅なのか、はたまた役所か? 難波京や平城京に関する最新の研究成果も参照し、謎の建物群に迫ります。 |
第1シーズン 難波宮址発掘60年記念 ( 7月5・12・19・26日)
第1シーズンは終了いたしました。たくさんのご参加ありがとうございました。
第138回 7月5日 |
山根徳太郎先生と難波宮址発掘60年 | 長山 雅一 |
高校2年の時、古代の大阪に都があったと云う記事を見た。 大阪城の南で「発掘」とある。現場で先生にお会いした。 興味本位の学生に1時間半も懇切丁寧な説明。別れ際に「男子一生の仕事」と。 大学の休暇中は発掘に。学生たちに、先生はいつも全人格的に付き合って下さった。 発掘に、保存に、普及に、資金集めに。先生は「日本のシュリーマン」と呼ばれた。 先生のご命日が「なにわ(7月28日)」で、今年は没後40年。 |
第139回 7月12日 |
難波宮・難波京 発掘の最前線から | 高橋 工 |
近年、難波宮・難波京の発掘で、従来の考え方を覆すような発見が相次いでいます。 その中から、難波宮に関しては、60年前の調査地を再発掘した、 孝謙天皇の「東南新宮」かとみられる区画についての続報を、 難波京については最近の成果を総合した新しい難波京像についての試論を展開します。 |
第140回 7月19日 |
壁土から前期難波宮に迫る | 大庭 重信 |
2010年度の調査で、朱鳥元(686)年に焼失したと伝えられる前期難波宮の宮殿壁土が、 宮域東の谷内から大量に出土しました。 壁土の詳細な検討をふまえ、前期難波宮の建築技術・宮殿の外観や造営背景などに迫ってみたいと思います。 |
第141回 7月26日 |
新発見!難波宮西方の建物群は何を語るか | 京嶋 覚 |
昨年冬、難波宮西方300mで前期難波宮の官衙が新たに発見されました。 これは、これまで考えられていたより、さらに西に官衙がひろがっていたことになり、 前期難波宮の壮大な規模をあらためて示したといえます。 この発掘成果について詳しく紹介し、前期難波宮の中での位置づけや、 大化改新の評価にも関わる歴史的意義について検討します。 |
【 主催 】
(公財) 大阪市博物館協会 大阪文化財研究所
大阪歴史博物館
【 問合せ先 】
(公財)大阪市博物館協会 大阪文化財研究所「金曜歴史講座」係
TEL.(06)6943-6833
〒540-0006大阪市中央区法円坂1-1-35アネックスパル法円坂6F