金曜歴史講座のお知らせ - 大阪市文化財協会

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2011年度「金曜歴史講座」開催のお知らせ

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むかしの大阪をみらいの大阪へ伝える

金曜歴史講座とは、(財)大阪市博物館協会 大阪文化財研究所が行う普及啓発事業として、大阪の歴史や文化財の最新情報をお届けする連続講座です。

【 記 】

日 付 : 1シーズン 『難波宮大極殿発見50周年記念シリーズ』
            7月8・15・22・29日
終了いたしました。
    2シーズン 10月7・14・21・28日 終了いたしました。
    3シーズン 12月 2・9・16・23日 終了いたしました。

時 間 : 18:30〜19:45 (18:00受付開始)
会 場 : 大阪歴史博物館 4階講堂
     大阪市中央区大手前4-1-32
     (最寄駅)地下鉄谷町線・中央線「谷町四丁目」駅下車9号出口前
     (最寄バス停)大阪市営バス「馬場町」バス停前
参加費 : 200円 (参加資料代)
定 員 : 250名 (当日先着順)

3シーズン (12月2・9・16・23日)
3シーズンは終了いたしました。たくさんのご参加ありがとうございました。

第122回
12月2日
日本近世城郭の美、倭城に始まる!
−“扇の勾配”の誕生−
黒田 慶一
日本近世城郭の美しさを語る時、まず挙げられるのが石垣の曲線美、いわゆる“扇の勾配”です。 これは従来から文禄〜慶長期(1592〜1615年)に編み出され発展したと考えられていますが、 日本国内では最古例を抽出できません。 朝鮮の役時(1592〜98年)に豊臣秀吉軍が韓国に築城した日本式城郭“倭城”から、その発生を考えます。
第123回
12月9日
瓦からみた難波と飛鳥の古代寺院 谷ア 仁美
考古学の立場から寺院について考察する際、発掘調査で出土した瓦は有効な手がかりになります。 昨年度の難波宮跡の発掘調査で、前期難波宮が存続した時期よりも古い瓦が出土しました。 今回、それらの瓦と当時の政治の中心であった飛鳥地域の瓦とを比較することで、 難波・飛鳥地域間の古代寺院の交流について考えます。
第124回
12月16日
韓国考古学の最近事情
―金海大成洞古墳群の検討―
田中 清美
ここ数年来、韓国内の発掘調査件数は民間調査機関の設立と軌を一にするように増加の一途をたどり、 多くの遺跡が記録保存の名のもとに消えました。 このような中で学術調査も少ないながら実施され、 金海大成洞古墳群の調査では、日韓の古墳文化に関わる注目すべき事実が明らかになってきたことを紹介します。
第125回
12月23日
上町台地とその周辺の地震と地すべりの跡について 趙 哲済
この春、私たちは東日本大震災で未曾有の地震と津波を経験し、 秋には豪雨による土砂崩れで地盤の脆さを目の当りにしました。被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。 昨年度のこの講座で、大阪市の地盤災害史を話しましたが、 今回はその時十分に紹介できなかった上町台地の地震や地すべりの跡を中心に、もう一度お話しします。

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2シーズン (10月7・14・21・28日)
2シーズンは終了いたしました。たくさんのご参加ありがとうございました。

第118回
10月7日
陶技の粋
−佐賀藩蔵屋敷跡出土の「鍋島」−
市川 創
佐賀藩主であった鍋島家が、 最高の素材と技術を駆使して焼かせた江戸時代最高峰の磁器、 それが「鍋島」です。 将軍家などへの献上を主目的とするため、 発掘調査ではほとんど見つかることのないこの「鍋島」が、 佐賀藩蔵屋敷跡の調査で大量に出土しました。 出土した鍋島を紹介し、また蔵屋敷から出土した理由について考えます。
第119回
10月14日
おおさかの中心を掘る
―難波宮・本願寺・大坂城
大庭 重信
昨年度から今年の4月まで、 中央区森ノ宮中央2丁目で行ってきました難波宮・大坂城跡の発掘調査の成果を報告します。 前期難波宮の大量の壁土、中世の寺院跡、豊臣期の鍛冶工房など、 各時代の重要成果を大阪の歴史の中で位置づけて紹介したいと思います。
第120回
10月21日
もう一つの埋れた港
−猪甘津と百済郡から古代の難波を語る−
京嶋 覚
難波津(なにわづ)や住吉津(すみのえのつ)を考察した名著『埋れた港』が刊行されて40年近くになります。古代の難波を語る時、難波津と住吉津はつどに触れられてきましたが、猪甘津(いかいのつ)はあまり注目されてきませんでした。今回は、猪甘津と摂津百済郡に関する考古学的な検討を試みて、古代難波の特質の一端を語りたいと思います。
第121回
10月28日
考古学からみた「難波(なにわ)のミヤケ」 南 秀雄
難波のミヤケは、各地におかれた中央政権の直轄地とされるミヤケのひとつで、難波宮成立前、6〜7世紀の上町台地北部の発展のおおきな要因と考えられてきました。長年、つみ重ねてきた発掘調査によって、その姿がどこまで具体的に明らかにできるかこころみます。

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1シーズン『難波宮大極殿発見50周年記念シリーズ』 (7月8・15・22・29日)
1シーズンは終了いたしました。たくさんのご参加ありがとうございました。

第114回
7月8日
前期難波宮跡の年代と宮号を求めて 元帝塚山学院大学
教授
中尾 芳治氏
難波宮跡の50年以上にわたる調査・研究の大きな成果の一つは、 前期難波宮(飛鳥時代)跡が大化改新でつくられた孝徳天皇の難波長柄豊碕宮の遺構であることを明らかにしたことです。 その調査・研究の経過と成果、意義について考えます。
                                               ※手話通訳があります。
第115回
7月15日
難波宮大極殿の発見
−調査に果たした建築史学者の目−
大阪市教育委員会
研究主幹
植木 久氏
難波宮には荘厳な建物が並んでいましたが、そのことを明らかにする発掘調査において、 建築史研究者が果たした役割は大変大きいものでした。 大極殿の調査でも、建築史研究者ならではの発想によるスケールの大きな調査、研究が行われました。 近年の研究成果や宮殿の外観復元などもあわせて紹介します。
                                               ※手話通訳があります。
第116回
7月22日
後期難波宮大極殿の重圏文系瓦について 元大阪市文化財協会
企画課長
八木 久栄氏
後期難波宮(奈良時代)大極殿跡は比較的、後世の破壊が軽く、 出土した重圏文の鬼瓦や軒瓦も、その屋上での位置をかなりよく示していました。 そこで発掘状況の検討を通じ、大極殿の重圏文系瓦屋根を推定復元してみます。 また、難波宮の重圏文瓦について、内裏の蓮華文・唐草文瓦と合わせて考えてみます。
第117回
7月29日
大極殿の発見と保存の問題
−高度経済成長期における都市再開発のはざまで−
(財)大阪市博物館協会
大阪文化財研究所所長
長山 雅一
難波宮は古代難波の先進性や国際性を物語るかけがえのない大阪の財産です。 現在は国指定史跡として整備が進められていますが、そこに至る道のりは決して平坦ではありませんでした。 現代都市の発展と歴史的資産の保存をいかに両立させていくか、 難波宮跡保存の大きな契機となった大極殿発見の50周年を迎える今年、改めて考えてみましょう。

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【 主催 】

財団法人 大阪市博物館協会 大阪文化財研究所
大阪歴史博物館

【 問合せ先 】

財団法人 大阪市博物館協会 大阪文化財研究所「金曜歴史講座」係
TEL.(06)6943-6833
〒540-0006大阪市中央区法円坂1-1-35アネックスパル法円坂6F

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