後期難波宮の大極殿東方で大規模な区画施設が見つかりました

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後期難波宮の大極殿東方で大規模な区画施設が見つかりました

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大阪市教育委員会と公益財団法人大阪市博物館協会大阪文化財研究所・大阪歴史博物館は、 平成24年11月初旬から実施してきた中央区法円坂の難波宮跡での発掘調査の成果を広く市民に公開するために、 平成25年1月20日(日)13時30分より、発掘現場の現地説明会を開催します。
今回の発掘調査では、後期難波宮の大極殿東方で、大規模な区画施設の遺構が見つかりました。 想定される規模から重要な役所があったと思われ、『続日本紀』に記載のある「東南新宮」の一部である可能性もあります。 いままで実態が不明であった後期難波宮の宮殿中枢部周辺における様相の一端が明らかになりました。

【 記 】

   日 付 : 平成25年1月20日(日) 終了いたしました。
   時 間 : 13:30〜15:30 
        ※小雨決行(開催時間までに大阪府下に暴風または
         大雨警報が発令された場合は中止とします。)
   内 容 : 調査成果の解説及び出土遺物の展示
   参加費 : 無料
   会 場 : 大阪市中央区法円坂1丁目
         地図情報サイト「マップナビおおさか」へ移動します

        ・地下鉄谷町線・中央線 … 谷町四丁目駅下車
                     10号出口より東へ300m
        ・JR環状線      … 森ノ宮駅下車 西へ900m
         ※車での来場はご遠慮ください。

調査の概要

今回の発掘調査地は、後期難波宮の大極殿から東へ100mの場所にあり(図1)、 史跡難波宮跡の整備事業として約140平方メートルを対象としています。 周辺では、難波宮跡(以下NW)2・4次調査(昭和29・30年)といった、 難波宮の発掘調査が開始されて間もない頃に調査が行われており、 そのときに発見されていた東西に長く延びる土壇と瓦の堆積がどのような遺構なのか、 最近の調査成果とどう関係するのかを確かめることを目的として調査を行っています(図2)。
調査の結果、NW2・4次調査の土壇と瓦の堆積の続きが発見され、その概要が明らかになりました
(図3・写真1)。 土壇は赤褐色の地山土を積み上げたもので、東西方向に延びています。 基底部の南北幅は8.9m、上部での幅7.2mで、高さは0.3mあります(写真2)。 土壇の北端部には礎石とみられる花崗岩が据えられていました。 土壇の北・南端部は丸みをおびた傾斜面となっていて、 その傾斜部から外側では瓦の破片が密集して出土しました。 瓦は建物を解体した時に残されたものとみられます(写真3)。
NW2・4次調査を参考にすると、この土壇と瓦堆積は東へ約40mにわたって連続していた可能性があります。 このように長大な建築物としては、回廊などの区画施設が考えられます。 瓦と礎石を伴うことや土壇の幅から推測すると、瓦葺きの複廊といった格式の高いものが想定できます。

発掘調査成果の重要性

過去に周辺で行われた調査成果をみると、今回発見の区画施設の遺構が続いているのを確認できることから、 南面を複廊、東・西・北面を築地で区画された、南北約115m、東西約85mの一郭を復元できます(図2)。 まず西面は、今回調査地の西約6mで北へ曲がり、NW02−8次、NW121・19次の調査区で 土壇、礎石、雨落溝、瓦の堆積が発見され、北へ延びていることがわかります。 この部分は築地と推定されます。 NW24次調査では東へ曲がるコーナー部分があり、 区画の北面部分と考えられる土壇、礎石抜取穴、雨落溝、瓦の堆積などが 約50mにわたって東へ延びています。 東面部分は約80m東方のNW30次調査で瓦の堆積があったと報告されています。 また、NW02−8次調査の築地は後期難波宮の遺構を撤去して設けられており、 一連の区画施設が後期でも新しい段階のものであることを示しています。
区画の内部にはNW7次調査で石敷きを伴う土壇が見つかっており、別の建物があったと考えられます。 また、この区画の南にも区画施設で囲まれた別の区画があったとみられ、 内部では建物の土壇や石敷きがあり、難波宮発見の契機となった鴟尾の破片も出土しています。
以上を総合すると、後期難波宮大極殿の東方に、 複廊や築地などで囲まれた格式の高い大規模な区画がふたつあり、 いずれも後期難波宮の中でも新しい時期に造営されたといえます。 古代の宮殿中枢部の周辺には役所が配置されていたことがわかっています。 後期難波宮については、これまでの調査では実態は不明でしたが、 今回の成果により、具体的な様相をうかがう手がかりを得ることができました。 また、格式の高い施設であることから、『続日本紀』天平勝宝8(756)年条に孝謙天皇が 「難波宮に至り、東南新宮に御した」という記載のある「東南新宮」に当る可能性も考えられます。

図1
図1 調査地の位置

図2
図2 後期難波宮 大極殿東方の遺構

図3
図3 今回調査地の遺構平面図

写真1
写真1 調査地全景(南から)
手前の瓦の破片がない部分が回廊の土壇

写真2
写真2 回廊(南西から)
朱線の間に土盛りがあり、回廊(複廊)が推定できる

写真3
写真3 周囲で見つかった瓦の破片(北から)

【 問合せ先 】

   (公財)大阪市博物館協会大阪文化財研究所 難波宮調査事務所
   担当:高橋(TEL:06−6943−6836)

【 主 催 】

    大阪市教育委員会・大阪文化財研究所・大阪歴史博物館

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